堀江珠喜 『悪女の老後論』 平凡社新書 ★★ 止まらないユーザという病
第六章 介護は美徳か?-『黄落』と『恍惚の人』(P.156)ここで強調しておきたいのは、超豪華プールもあるような施設はいざ知らず、常識的な設備の整った老人ホームは、自宅介護の費用に比べて、はるかに安いのである。しかもより安全で、子供は安心して自分たちの貴重な時間を偽性にせずに済む。自分達が介護したら無料だと思いがちだが、「時は金なり」と言うではないか。時間を使うことは、金を使うことと同じなのだ。
「悪女」で鳴らす大阪府立大教授が自分の母親を老人ホームに入居させた顛末記。
親の介護で家族が疲弊しきってからではなく、親が元気なうちに条件のいい老人ホームを探すのは決して悪いことじゃない。元気なら同世代、同レベルの人達と交流するのはいい刺激になるし、いわゆるボケ防止にもなるだろう。
姥捨て山的な後ろめたさも感じなくて済む。
食事や交通の便、イベント、同居者のレベル、もちろん経営母体のチェックは参考になった。
ただ、どうしても感じてしまうのは著者のユーザ視点。
子供がいないからかも知れないが(それについては人のことは言えない)、自分のコンフォータブルを優先して、偽性になっても見ずに偽性を回避することが(お金さえあれば)できる世の中になってしまったからこそ、人生それくらいの”苦行”を背負ったっていいと甘い考えを抱いてしまう。
幸い著者の母親は突然死してくれたけど、多くの場合、こううまいことはいかない。
老い、ボケ、弱っていく親と接することによって写される自分の姿を見つめられなかったことに”もったいなさ”を感じる。
ユーザ=受給者である限り自分に変化は訪れない。いつまでも完成しない人としての業を産まれ持ったのだから、もっと積極的な供給者としての生き方を歩んでもいいのではないか。


